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大分地方裁判所 昭和36年(わ)26号 判決 1961年12月13日

被告人 柴田正行

大三・四・九生 船員

主文

被告人を禁錮六月に処する。

ただし、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

一、被告人の経歴、業務

被告人は、昭和九年に山口県立大島商船学校航海科を卒業した甲種一等航海士の海技免状を有する船員で、昭和二十九年十一月一日、東海運株式会社に入社し、昭和三十三年五月三十日、同会社所有の汽船津久見丸に前船長平島島一の後任船長として乗組み、以来、同船の運航全般を指揮して、鹿児島県大島郡三島村硫黄島より大分県津久見港まで硫黄鉱石を輸送する業務に従事していたものである。

二、津久見丸の構造、特殊性、復原性等

津久見丸は、東海運株式会社が昭和三十二年四月十一日広島県御調郡向島船渠株式会社との間に締結した造船契約に基き、昭和三十三年三月竣工した総屯数八百二屯〇二、載貨重量屯数千百四十三屯、長さ五十五米、幅九米六〇、深さ四米八〇、デイーゼル式発動機九百五十馬力一基を有する鋼製の貨物船であるが、当初より、建造後は小野田セメント株式会社が傭船して硫黄島と津久見港間の硫黄鉱石輸送に使用することに予定されていたため、同会社の要請により、特殊荷役装置として、船体中央部の大半を占める貨物艙の艙底に鉱石を載せて前後に走る二列のベルトコンベアーと、同艙前部でこれを受けて上昇し船外に搬出するバケツトエレベーターが設けられ、そのため艙底が船底キールより一米三〇ないし三米六五高いいわゆる上げ底となり、その部分に間隙を生じているうえ同艙底両舷側にそれぞれ四十五度の傾斜板が張られ、それらによる貨物積載容量の減少を補うために貨物艙口のコーミングが甲板上一米三〇に高められているとともに、硫黄島および津久見の港の水深が比較的浅い関係で何時でも接岸荷役できるよう考慮して、貨物を満載するには、船首水艙に約三十八屯、貨物艙の前部に設けられた脚下水艙に約六十三屯の海水バラストを漲つてイーブンキール(等吃水)となるように積荷する計画のもとに建造されており、一般貨物船が海水バラストを排除しながら貨物を満載吃水線に達するまで積み、船尾トリム(船尾吃水が船首吃水より大きいこと)をつけて航海するのと異つた計画のものであつた。

そして、昭和三十三年三月七日に公式試運転が、同月十一日に空船状態での重心試験が施行され、同月十三日、船舶安全法に基く管海官庁及び同法第八条に規定する日本の船級協会たる日本海事協会の各種検査に合格して、近海第一区を航行区域とする同協会第二級船の資格を取得し、船舶国籍証書の下附をうけて航行を許されたもので、航海上通常生ずることのある危険に堪え安全に航海し得る状態にあつたが、右重心試験の結果によると、前記のように等吃水で積付の要請に基いて建造されたため、その満載状態における出、入港、消費の各時とも、船首水艙三十八屯一八、脚下水艙六十三屯七五、貨物九百六十屯で、その出航時のGM(船の傾斜角が小さい場合の復原力すなわち初期復原力の大小の目安となるもので、横メタセンタ高さとも云う)は〇・四一九米、その入港時のGMは〇・三四一米、その消費時のGMは〇・三一四米であつて、結局前記計画どおりに貨物を満載した場合貨物の積載量は九百六十屯となり前記GMの数値も計画どおりに満載した場合のものであるが、これらGMの数値は、一般貨物船と比較してその水準より少く、且つ後日判明したところによると、傾斜角の変化に対応する復原てこ(GZとも云う)の変化を示す復原性(力)曲線は、一般の船舶において一つの山を描くのと異つて二つの山を描いており、前記計画どおりに貨物を満載して全速(機関の負荷四分の四、時速一一浬二五)で航行中に旋回する場合、船尾楼前端出入口を閉鎖しておれば舵角三十五度をとつても大角度の横傾斜に移行するとはいえ転覆のおそれはないが、これを開放しておれば舵角二十五度及び三十五度をとると最大外方積傾斜偶力てこが最大復原偶力てこよりも僅かに小さい程度であるので静的には一応安定であるけれども予備復原力が小さい故横傾斜の慣性力のため転覆のおそれがある程復原性は相当低かつた。

三、被告人の津久見丸の運航状況

津久見丸は、昭和三十三年三月十三日、向島船渠株式会社より東海運株式会社に引渡され、同会社と小野田セメント株式会社との間の傭船契約に基き、硫黄島と津久見港間の硫黄鉱石輸送にあたることになつたのであるが、初代船長の平島島一や一等航海士として貨物の積付を担当していた山崎忠雄は、向島船渠株式会社係員らより、同船が前記のように特殊な方法で積荷をする計画のもとに建造されていることを知らされず、また硫黄島の港内事情もよく判らなかつたので、右両名相談のうえ、最初のうちは一般貨物船に積荷するのと同様の方法で船首及び脚下の各水艙の海水バラストを排除しながら硫黄鉱石九百数十屯宛を積んで航海し、硫黄島での積荷に慣れ港内事情も判るにつれて次第に積載量を増して、同年四月下旬の第八、九次輸送には千二、三十屯を積んで航海したが、同船の揺れ具合からみて復原性のあまりよくない船だと感ずることはあつても、特別不安を感ずるような事態に遭遇しなかつたので、右のような積荷方法でもよいものと考え、その頃、同島船渠株式会社より重量重心トリム計算書が送付されて来たのに、載貨重量とGMの数値を確めただけで、同計算書の内容を充分検討しなかつたため、これまでの積荷方法が前記計画と違つており、同計算書記載のGMの数値も計画どおりにイーブンキールになるよう貨物を九百六十屯積んだ場合におけるものであることに気付かず、その後も、従前どおりの方法で、特別の場合を除いて千四十屯ないし千六十屯の硫黄鉱石を積み、結局、排除した海水バラストの重量に相当する約百屯の硫黄鉱石を計画上の積荷鉱石九百六十屯の上部に積載して航海を続けていた。

そして第十五次輸送を終えた津久見丸に、平島島一の後任船長として乗組んだ被告人は、船長として安全な運航を期するため、平素より船体の構造、性能、特殊性、復原性等を的確に把握するのはもちろん、貨物の積付にあたつてはそれが計画どおり適正になされているかどうかについても充分配慮すべき業務上の注意義務があるのに、前船長より事務引継の際同船の復原性や積荷方法等について格別注意や申送りを受けず、また同船がすでに十五航海を無事終えていたばかりか前記各種検査に合格して就航後間もなかつたので堪航性について安心感もあつたところから、同年六月上旬の乗船後初の輸送(津久見丸にとつては就航後第十六次輸送)にあたつては、同船の構造、特殊性、復原性等に関する重要な資料である重量重心トリム計算書など同船備え付けの書類を検討することなく、ただ漫然と前船長の航海方法を踏襲することとして、一等航海士山崎忠雄に命じて従前どおりの積荷方法で硫黄鉱石千六十屯を積込ませて硫黄島を出航したが、その航海の途次、風力四ないし五、波浪三ないし四の気象状況下で横波を受けて船体が約二十度位傾いたまま暫く復原しなかつたので、復原性のあまりよくない船だと案じ、また、外見的にも前記特殊荷役装置等の関係から重心の高いいわゆるトツプヘビー(頭部過重)の船ではないかと思つたにも拘らず、津久見港に帰港後、たまたま同港に来合わせていた東海運株式会社工務課長代理の山崎晴之にそのことを話して、復原力を確めるために満載状態における傾斜試験を実施してくれるよう依頼したのみで、自らは前記重量重心トリム計算書などを充分検討せず、載貨重量やGMの数値のみを確認したにとどまり、漫然と一般貨物船同様に、満載吃水線に達するまでは燃料、食糧品、清水などの持物を含めて載貨重量千百四十三屯の範囲内で貨物を積むことができ、またGMの数値も貨物艙の容積の重心を基にして算出されている以上たとえ海水バラストを排除して貨物を積んでも、右の範囲内である限りは変化しないはずだと考えたため、従来の積荷方法が計画どおりになされておらず、海水バラストを排除してその重量に相当する硫黄鉱石を計画上の積荷鉱石九百六十屯の上部に積み上げることになる結果、必然的に重心(G)が上昇してGMの数値も同計算書のそれより小さくなり、復原性を悪化させていることに気付かず、その後も、同船の動揺周期が他の一般貨物船に比較して長いように感じ安定性に疑問を抱きながらも格別航海に不安を感ずるような事態に遭遇しなかつたので、積荷のことは一等航海士の山崎忠雄に任せて従前どおりの方法で硫黄鉱石を積んで航海を続けているうち、同年六月下旬頃、前記本社の山崎晴之より「GMは約四十糎位あるので初期復原性については心配ないと思われるが、復原性曲線がないので多角度(約五度以上)傾いた時のことは判らない。本船は乾舷が少いので案外悪いかも知れない。」旨の私信(昭和三十六年押第七二号の一四)を受取つたが、同年八月末から九月初めにかけて補償工事のため向島船渠株式会社のドツクに合入渠した際、同月一日に行われた工事打合せ会の席上同会社係員に対し平素疑問を抱いていた同船の復原性について問い質す機会があつたのに、近く満載状態における傾斜試験等が行われることを聞いたため、これを問い質さなかつたのみか、そのトリム計算書の説明に深く留意することなく出渠後も従前どおりの方法で硫黄鉱石約千四十屯ないし約千六十屯を積んで輸送を続け、乗船後十五航海を運航したものである。

四、津久見丸の速力試験中の転覆と乗組員等の溺死

ところで、津久見丸の満載状態における速力試験や傾斜試験を実施しようということは、傭船者の小野田セメント株式会社の特別な要請によりかねてから計画されていたが、同会社、東海運株式会社及び向島船渠株式会社の打合せに基き、第三十一次輸送(被告人の乗船後第十六次輸送)の際の満載時に、速力試験は大分県佐伯湾内の船舶速力試験区間において、傾斜試験は津久見港岸壁においてそれぞれ実施されることに決定し、被告人にもその旨連絡された。

そこで被告人は、同年九月二十二日硫黄島において、前記のように満載吃水線に達するまで硫黄鉱石約千六十屯を積み、機関長川野良一ほか二十三名の船員を乗組ませて同島を出港し、津久見港に向う途中、翌二十三日午前八時三十分頃、佐伯湾入口北側の大分県南海部郡上浦町浦戸崎沖合に到り、同所で船主側試験関係者として東海運株式会社津久見出張所長池下蕃雄、造船所側試験関係者として向島船渠株式会社造船設計係員芝秋広、同松浦和治、傭船者側試験関係者として小野田セメント株式会社津久見工場工作係長幸正信、同工場工員橋本一郎、同梅津博の合計六名を移乗させ、同船サロンで速力試験の要領について打合せが行われた後、同日午前九時頃速力試験を開始するため、被告人の操船指揮により操舵手秋田隆男が操舵して、西進して同湾内の水ノ子灯台と同郡上浦町浅海浦浪太崎を結ぶ船舶速力試験区間線上に入り、曇天で北北西の風、風力二ないし三、波浪二の気象状況下で同船の船尾楼前端出入口のうち左舷は閉鎖、右舷は開放したままで速力試験を開始し、前記松浦和治の指示によつて、まず最初に機関を負荷四分の一(機関回転数毎分二百二回転)に整定して、同線上を、同郡上浦町高平山に設置された東側マイルポストより同町大池ヶ浦に設置された西側マイルポストに至る間走航し、その所要時間を計測して往航の試験を終り、そのまま暫く前進してから舵角約三十五度で右舷に旋回して針路を反転し、逆コースで同出力の復航の試験を終り、次に、機関を負荷二分の一(同毎分二百五十四回転)に整定して前回と同じ方法により往復二回の試験を終り、次いで、機関を負荷四分の三(同毎分二百九十一回転、時速十浬七五)に整定して暫く前進した後、同船の舵が戻すのに重いことや船体の安定性のことを考えて、舵角十五度で右舷に旋回して針路を反転し、前同様の方法により往航の試験を終え西側マイルポストを通過後暫くして復航の試験に入るべく舵角十五度で右舷に旋回して反転しようとした際、外方横傾斜偶力によつて船体が左舷に約七度位傾斜し同側舷端中央部附近から甲板上に海水をすくい上げる状態が発生したが、間もなく正常に復原したので、さほど気にも止めず、そのまま続航して復航の試験を終り、次いで、機関を同船の満載状態ではかつて一度も使用したことのない負荷四分の四(同毎分三百二十回転、時速一一浬二五)に整定して前同様に針路を反転して試験コースに入るため、同日午前十時過ぎ頃、右舷に旋回しようとしたのであるが、前記のように建造計画と異つた方法で硫黄鉱石約千六十屯を積んで本来あまりよくなかつた復原性を一層悪化させていた不注意に加えて、前記のように、津久見丸は特殊な構造の貨物船であるため硫黄鉱石を満載した場合トツプヘビーではないかと思われたばかりか、被告人も、乗船後最初の航海中約二十度傾斜したまま暫く復原しなかつたことに遭遇して復原性のあまりよくない船であることを知つており、また、本社の山崎晴之より私信で「復原性曲線がないので多角度(約五度以上)傾いた時の復原性のことは判らないが乾舷が少いので案外悪いかも知れない」旨注意されており、かつ負荷四分の三で航行中舵角十五度で右舷に旋回した際には船体が外方横傾斜偶力によつて左舷側に約七度位傾斜し甲板上海水をすくい上げていたのであり、しかも被告人は負荷四分の四で航行中舵角十五度で右舷に旋回すれば少くとも左舷側に十一、二度は傾斜し甲板上にすくい上げる海水の量も負荷四分の三の場合より増加するであろうと考えていたのであるから、かかる場合、貴重な人命と財産とを載せて海上を航海する船舶の運航全般を指揮する船長としては、安全を期して、負荷四分の三の場合と同じ舵角十五度をとつて船体の平衡を失わせるようなことは避け、できるだけ小さい舵角で徐々に旋回して転覆事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのであつて、叙上の認識がある以上、本船の安定性の状況並びに当時の載荷状態のもとにおいては、慎重な操船をしない限り転覆の虞れがあることを予見し得られたにかかわらず、充分な配慮を欠いだため、負荷四分の三の場合同様舵角十五度をとつて右舷に旋回しても危険はないものと軽信して、前記操舵手秋田隆男に対し漫然スターボード(面舵十五度)を号令し、同舵角で旋回に移つたため、船首が右転するにつれて、船体が外方横傾斜偶力によつて逐次左舷側に傾斜し、約十二、三度傾いても復原せず、なおも傾斜が増大するようにみえたので、危険を感じて急拠舵を中央に戻すように命じたが時既に遅く、船体は左舷側に大傾斜し、間もなく同郡上浦町福泊三ツ石鼻真方位百八十度、同鼻より約二千二百米沖合附近の海上において、船首がほぼ南東方に向いとき、同船を左舷側から転覆沈没するに至らせ、よつて、別表記載のとおり試験関係者池下蕃雄及び同船機関長川野良一ほか十名の乗組員をその頃溺死(うち一名は死亡と認定)させたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)被告人は、津久見丸に乗船以来その復原性に充分の注意を払い、積荷も適正になしていたし、(二)本件転覆事故直前の被告人の操船は、被告人と同じ甲種一等航海士の海技免状を有する船長の普通に行う運航方法であつて、相当の注意を払つても、被告人はもちろん一般の船長といえども転覆の結果を予見することは不可能であつたから、被告人は、本件津久見丸の転覆事故について業務上の過失責任がない、と主張するので、以下これらの点について判断する。

(一)  積荷方法について

前掲九州大学教授渡辺恵弘ほか二名作成の鑑定書によると、津久見丸が判示建造計画どおりに貨物を満載していたならば、船尾楼前端出入口を開放している場合及び閉鎖している場合とも、機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度で旋回しても最大外方横傾斜偶力てこが最大復原偶力てこより小さく僅かながら予備復原力もあるので小角度の横傾斜にとどまり、転覆しなかつたであろうことが認められる。従つて、本件津久見丸の転覆事故は、船長たる被告人が硫黄鉱石を建造計画どおりに積荷せずに復原性を悪化させていたことが原因の一つであるといえる。

そこで、右のように計画どおりに積荷せず復原性を悪化させていたことについて、被告人に業務上の注意義務に欠けるところがあつたかどうかにつき検討するに、被告人が津久見丸に乗船したときには既に前船長平島島一が無事十五航海を終えており、前船長より復原性や積荷方法等について格別注意などを受けなかつたばかりか、各種検査に合格して就航後間もなかつたので堪航性について安心感を持つていたことは判示認定のとおりであり、これらのことからすれば、被告人が乗船後の初航海の際前船長の航海方法を踏襲し従前どおりの積荷方法で硫黄鉱石を積込ませたのも無理からぬものがあり、また、判示認定のように本社の工務課長代理山崎晴之に対して満載状態における傾斜試験をしてくれるよう依頼したことは、被告人が復原性について或る程度の注意を払つていたことを示すものといえよう。

しかしながら、船舶は、貴重な人命と財産を載せて海上を航海し、ひとたびその安全が失われると社会に大なる影響を与えることになるから、船舶の最高責任者であり最高技術者として運航全般の指揮にあたる船長は、甲種一等航海士の海技免状を受有する程の知識と経験を持つている場合はもちろんのこと、安全な運航を期するため、平素より、船舶に一般配置図、船体中央切断図、重量重心トリム計算書、排水量等曲線図等の書類が備え付けてあるときはこれらを充分検討するなどして、船体の構造、性能、特殊性、復原性等を的確に把握するのはもちろん、たとえ船舶自体は堪航性を保持していても貨物の積付方法如何等によつて復原力の減少を来たし堪航性を害することのないように、貨物の積付にあたつては、それが建造計画どおりに適正になされているかどうかについても充分配慮し、船舶転覆等の事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるといわなければならない。このことは、実定法上も船長の発航前の検査義務に関する船員法第八条の規定に徴して明らかである。

しかるに、被告人は、判示認定のとおり、津久見丸には重量重心トリム計算書などが備え付けてあり、これらを検討すれば、同船が海水バラストを漲つて満載するという特殊な積荷方法をとる計画のもとに建造されていることや、GMの数値もこの計画どおりに貨物九百六十屯を満載した状態におけるものであることが明らかとなつたはずであつたのに、充分検討しなかつたため、積荷が計画どおりになされておらず、排除した海水バラストの重量に相当する硫黄鉱石を計画上の積荷鉱石九百六十屯の上部に積み上げる結果GMの数値も同計算書記載のGMの数値よりも小さくなり復原性を悪化させていることに気付かなかつたのであるから、被告人が復原性について業務上要求される程度に充分な注意を払い積荷を適正になしていたとは認め難く、業務上の注意義務に欠けるところがあつたといわなければならない。被告人の当公廷における本船は硫黄鉱石専門に造られたものであるから、凡ての点で安全であると思つていたとの供述は這般の事情を裏書するものといえる。もつとも重量重心トリム計算書中の有効貨物重量九百六十屯というのが貨物積載量の局限を示した制限重量でないことは、弁護人主張のとおりであり、また、貨物を九百六十屯以上満載吃水線に達するまで積んだからといつて船舶安全法第十八条第五号に違反する過積であるとはいえないけれども、問題は、前記のように被告人が自己のとつた積荷方法が計画どおり適正になされておらず復原性を悪化させているということに気付いていたかどうかにあるのであつて、もし船長として要求される前記注意義務を尽しているならば、積荷方法が建造計画と異つており、GMの数値も重量重心トリム計算書記載の数値よりも小さくなり復原性を悪化させていることに当然気付いている筈であり、同計算書記載のGMの数値自体判示のように大きくないのであるから、一般船長はもちろん被告人も、おそらくは、建造計画と異つた積荷状態で各種速度各種舵角をとらねばならない航行をすると或いは転覆する危険があるかも知れないことを予想してこれを思い止まつたであろうと考えられる。

それ故、本件津久見丸の転覆事故は、被告人が業務上の注意義務を尽さずに建造計画と異つた方法で硫黄鉱石約千六十屯を積んで本来あまりよくなかつた同船の復原性を一層悪化させていた過失に基因することは否めない。

(二)  操船方法について

前掲九州大学教授渡辺恵弘ほか二名作成の鑑定書によれば、本件転覆事故発生当時の積荷状態において、機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度で旋回する場合、船尾楼前端出入口を開放しているときは最大外方横傾斜偶力てこが、最大復原偶力てこよりも大きいので転覆し、同出入口を閉鎖しているときは最大外方横傾斜偶力てこが最大復原偶力てこよりも小さい故静的には一応大角度の傾斜角にとどまるが予備復原力が小さいから横傾斜の慣性のため大角度の静的釣合位置を通り越して転覆するおそれがあり、また、舵角十度で旋回する場合、右出入口を開放していると転覆の危険があり、閉鎖しているときには転覆のおそれがあることが認められる。従つて、本件転覆事故は、被告人が転覆のおそれのない小さい舵角で旋回するように指示せず舵角十五度をとるよう指示したことも原因の一つといえる。

そこで、機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度で旋回するよう指示したことについて、被告人に業務上の注意義務に欠けるところがあつたかどうかにつき検討するに、証人谷初蔵の当公判廷における供述、鑑定人谷初蔵作成の鑑定書によると、被告人は負荷四分の一及び四分の二のとき舵角三十五度で旋回するよう指示したのに、負荷四分の三のとき一挙に舵角十五度と大幅に減じているばかりでなく、津久見丸の負荷四分の三の場合と負荷四分の四の場合の速力の差は僅かであるから、機関を負荷四分の四に整定して航行中に、負荷四分の三のとき安全であつた舵角十五度で旋回するよう指示することは、甲種一等航海士の海技免状を受有して船長の職をとる者の普通に行う運航方法であるとされており、一見、被告人に業務上の注意義務に欠けるところはないかの如くであるが、右の結論は、船の復原性が満足すべきものであり従つて旋回に伴う横傾斜による転覆の危険性がない場合を前提としていることが前記鑑定書や証言自体から明らかであり、結局、被告人の操船は通常の事態においては一応問題のない運航方法であるというに止まるのであつて、たとえ、通常の事態においては一応適切であると見られる操船であつても、具体的な諸条件の下においては必ずしも妥当な操船であるとはいえず、業務上の注意義務を欠くものと認めざるを得ない場合があると解せられる。

ところで、本件転覆事故当時の状況をみるに、かりに、被告人が積荷方法が建造計画と異つたものであり復原性を悪化させていることを知らなかつたとしても、判示のように、被告人は乗船後最初の航海中に約二十度位傾斜したまま暫く復原しなかつたことに遭遇して復原性のあまりよくない船であることを知つていたこと、また、本社の山崎晴之より私信で「復原性曲線がないので多角度(約五度以上と特に記してある)傾いたときの復原性のことは判らない、乾舷が少いので案外悪いかも知れない」旨注意されていたこと、機関を負荷四分の三に整定して航行中舵角十五度で右舷に旋回した際には船体が左舷側に約七度位傾斜し甲板上に海水をすくい上げたこと、しかも、被告人自身、機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度で右舷に旋回すれば少くとも左舷側に十一、二度は傾斜し、甲板上にすくい上げる海水の量も負荷四分の三の場合より増加するであろうと考えていたことなどが認められるのである。

そして、このような具本的状況下において、被告人と同じ資格を有する一般船長に対し、如何なる操船をすることが期待されるべきであるかというに、船舶の最高責任者、最高技術者として運航全般の指揮にあたる者は、安全な運航を期するため、風位、風速、波浪、船の速度、傾斜、動揺、積載貨物の状況等船舶の安全性に関係のある総ての事項について細心の注意を払つて、人命、財産に対し危害を及ぼすような事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があることは言を俟たないところであるから、本件における如くその復原性について若干の疑惑が存する場合において大傾斜に対応する復原性が明白にされていないときには、復原性曲線図が作成され多角度における復原性が判明するまでは、安全を期して、できる限り、多角度(前記山崎晴之の私信に従えば五度以上ということになる)の傾斜となることのないよう注意して操船すべきであつたばかりか、たとえ負荷四分の三で航行中舵角十五度で旋回したとき約七度傾斜して間もなく復原したとしても、これまで経験したことのない負荷四分の四で航行中に舵角十五度をとつて、復原性について保障のない一層大きな傾斜を惹起させたり甲板上にすくい上げる海水の量を増加させて多少でも復原性を悪化させるようなことは避け、小さい舵角で徐々に旋回すべきであつたといわなければならない。

従つて、被告人が機関を負荷四分の四に整定して航行中に、負荷四分の三の場合と同様に舵角十五度をとるよう指示したことは適切な操船方法ではなく、業務上の注意義務に欠けるところがあつたといわなければならない。

そこで、問題は本件のごとき状況の下において転覆事故を予見できたかどうかであるが、この点について弁護人は、「復原性の測定は高度の造船学上の専門的知識を有する者が大規模な試験によつてのみなしうるものであるところ、本件転覆事故後に作成された事故当時の載貨状態における津久見丸の復原性曲線は通常の船舶と著しく異つた曲線を描いているばかりか、九州大学教授渡辺恵弘ほか二名作成の鑑定書によると、津久見丸の事故当時の載貨状態で機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度をとると、船尾横前端出入口が閉鎖されている場合は転覆のおそれがあるとされているが、このおそれがあるという程度の結論も権威者三名が数ヵ月に亘つて研究した末判明した結果である。されば、復原性曲線図が作成されていなかつた本船の場合、造船学に素人の船長である被告人が復原性の特異性を知らなかつたのは当然でありかつ相当の注意を払つても転覆の結果を予見することは不可能である。」と主張する。しかしながら、業務上の過失犯の成立の一要件である結果の予見可能性とは、一般的客観的にみて、その業務に従事する者であれば当該具体的事情のもとにおいて結果の発生を予見することが期待できたことを指称するものであり、且つその結果の発生の予見は、必ずしも理論的正確さをもつて結果の発生することを認識(予見)する必要はなく、未必的にしろ結果の発生の可能性を認識(予見)する場合をも含むものと解すべきである。従つて、本件津久見丸の転覆という結果の発生については、当時、復原性曲線図も作成されていなかつたのであるから、船長において理論的正確さをもつてこれを予見することは到底できなかつたとしても、前記のような当時の状況下において、本来復原性のあまりよくない船であり、機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度をとれば負荷四分の三の場合より復原性について保障のない一層大きな傾斜を惹起し、甲板上にすくい上げる海水の量も増加して多少でも復原性を悪化させることになることに思いを致したならば、一般船長はもちろん被告人も、負荷四分の四で航行中舵角十五度をとつて旋回すると或いは転覆する危険性があるかも知れないと慮り、舵角十五度をとるよう指示することを思い止まつて小さい舵角で徐々に旋回するよう指示したであろうと考えられるので、前に説示したところから明らかなように、結果の予見可能性があつたということができる。

それ故、本件転覆事故は、一つには、被告人が業務上の注意義務を尽さずに、機関を負荷四分の四に整定して航行中舵角十五度をとつて旋回するよう指示した過失に起因するものであることを肯定せざるを得ない。

(情状)

本件津久見丸の転覆事故は、判示のように船長たる被告人が建造計画と異つた方法で硫黄鉱石約千六十屯を積み、本来あまりよくなかつた同船の復原性を一層悪化させていたことに加えて、機関の負荷四分の四で航行中右舷に旋回するため舵角十五度をとるよう指示したことの業務上の過失によつて発生し、その結果十二名もの尊い人命を失わせたのであつて、被告人の刑責は決して軽くはないのであるが、判示のように、津久見丸は船舶安全法に基く各種検査に合格し航行を許されていたといえ、特殊な荷役装置を持つた貨物船で、一般貨物船と比較してGMも小さく、復原性のよくない船であつたこと、そして、貨物の積荷方法も一般貨物船と異つて海水バラストを漲つてイーブンキールにして満載する計画のもとに建造され、重量重心トリム計算書記載の満載状態におけるGMの数値もこの計画どおりに満載した場合のものであつたこと、ところが向島船渠株式会社係員において、津久見丸引渡の際初代船長の平島島一や積荷担当の一等航海士山崎忠雄に対し、同船が右のような特殊な方法で積荷する計画のもとに建造されたものであることを十分に注意しなかつたため、初回から前記計画と異なつた方法で積荷されていたこと、また、右平島島一や山崎忠雄において、重量重心トリム計算書が送付されて来たのに不注意にもこれを充分検討しなかつたため、積荷方法が建造計画と異つていることなどに気付かず、被告人が乗船したときには既に十五航海を終えており、当時千四十屯ないし千六十屯を積んで航海していたこと、被告人は、前船長より事務引継の際同船の復原性や積荷方法について格別注意などを受けず、また同船が既に十五航海も無事終えていたばかりか各種検査に合格して就航後間もなかつたので堪航性について安心感を持つたため、前船長の航海方法を踏襲することにしたものであり、或る程度無理からぬものがあること、同船の輸送実績はその都度東海運株式会社本社に報告されていたのであるから、前記計画どおり積荷されているかどうかが判明していたはずであるのに、本社よりそのことについて被告人に何ら注意されていなかつたこと、本件速力試験に立会つた向島船渠株式会社係員は、同船の設計に関与した者達であつて、乗船後積荷の状態を聞いたのに、被告人に対し建造計画と異つた積荷方法をとつていることを注意せずに試験に入つたこと、同船の復原性曲線は、一般貨物船と異つた特異な曲線を描いておるのであるが、事故当時は、未だ復原性曲線図が作成されていなかつたこと、そこで、もし傾斜試験が速力試験よりも先に実施されていたならば、或いは、右のような復原性の特性が判明して速力試験の際に本件のような事故が発生するのを避けえられたのではないかと考えられ、このことは被告人にとつて不運なことであつたこと、被告人は、過去二十数年の船員生活において事故を起したのは初めてであり、前科もなく、東海運株式会社における勤務状態も良好であつて、同会社においては引続き被告人を使用することになつていること、被害者の遺族に対しては、同会社において補償金を交付するなどして相当の措置を講じていること、など参酌されるべき情状が認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為中、業務上過失往来危険(艦船覆没)の点は刑法第百二十九条第二項、第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、業務上過失致死の点は各刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号にそれぞれ該当するが、以上は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条により結局最も重いと認められる試験関係者池下蕃雄に対する業務上過失致死罪の刑に従つて処断することとして、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を禁錮六月に処し、前記情状を考慮して、同法第二十五条第一項第一号によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 岡林次郎 竪山真一 志鷹啓一)

死亡者氏名一覧表

氏名

職業

生年月日

備考

池下蕃雄

東海運株式会社津久見出張所長

大正五年十月二十二日

死体確認

川野良一

津久見丸機関長

明治四十二年二月二十七日

山本義道

同 一等機関士

大正八年五月十七日

福山繁

同 二等機関士

昭和七年三月十三日

鈴木金松

同 操機長

大正二年八月十日

高崎幸男

同 操機手

昭和五年十二月二十一日

照屋正喜

同 同

大正十五年八月五日

高石昭三

同 同

昭和四年一月四日

笹野清

同 機関員

昭和八年十月三十日

内山和充

同 同

昭和十二年九月四日

岡内幸雄

同 事務員

昭和七年六月三日

深尾忠勝

同 機関員

昭和十六年一月五日

行方不明、死亡と認定

以上十二名

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